死生観
数回前の「ひさしぶり。ソーシャルワーカー」で
記載したが、今、精神科病院で死をむかえる方の
希望や価値を、どうひろうか、指針づくりを
している。
指針には「本人の意思」を最優先に
不可能な場合は「家族の意思」を大事にすること
いうことが記載されている。
わたしは、かしこくないので、「本人の意思」
「家族の意思」という言葉がわかりにくいと
感じる。
でも、「意思」は、一般的に一番よく使う言葉だ。
何に私がひっかかっているか、未だわからないが、
ぼんやりわかることは、「意思」とは、
なんの意思なのか、広すぎる気がするのかも
しれない。
時間をかけられるときは、いろいろな「意思」を
尊重できるかもしれないが、時間がない時は、
散歩がもう一度したい、トイレにもう一度
自分でいきたい、お寿司を食べたい、お洒落をしたい
など、身近で、普通の生活をしている人からすると
なんでもないことだと思われる。
指針づくりは難しい。
それよりも、疑問に思ったことを口にだして
意見することがもっとむずかしい。
言葉にならないのである。混乱しすぎて。。。
by kokoemoon
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